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2008年1月23日

日記を書こうとする気持ちが分からない 1

 こんなことを書くと皆さんからずいぶんと嫌われると思いながら、でも、やっぱりここは書いておくべきでしょうね。
 これを書かなければ、と思いながら、実は何日も何日も書き出せずにいました。
 すぐに書けるほど、今でも考えがまとまっているわけではないので。

 今日の話題は、「日記」です。
 皆さんどのようなことを目的として、このmixiの日記なり、ブログなりを書いて、公開していらっしゃるのでしょうか。
 友人以外には非公開なら、私も分かるんです。個人的な未解決のどろどろの悩みを、友達に打ち明けるのと同じなんですから。
 でもそれが、「全体に公開」となるとどうでしょうか。
 個人情報筒抜けの、どろどろの心理、それを誰が見ているか分からない皆さんに公開して、そのことで何を期待なさっているのでしょうか。
 身の回りに、本心を打ち明けられる人がいない。だから、見知らぬ人に、共感してくれる人がいるかも知れないから、まだ見ぬ心の友人を求めているのでしょうか。
 それなら、私もその気持ちは分からぬではありません。
 でも、実際問題として、それで果たして、どれだけの真実の友が見つかるのか。
 自分の未解決のどろどろを、ばーーと、日記に全体公開で、出していきますよね。
 それを、まだ一面識もない誰かさんが見るわけですよ。
 それって、初対面の人に向かって、自分の恥ずかしいどうやって解決すればいいか分からない内面を、ばーーーとさらけ出しているのと、同じことじゃあないでしょうか。
 それに始めて触れた人の反応って、どうなのでしょう。

 全然知らない人が、なんだか分からないけれど、未解決の、判断にもなっていないような断片的な感想の切れ切れを、読まされる感想。
 心からその人を支えたいと思っている、その人の親友なら、その感情の断片を、必至になって拾っていって、書いた人の気持ちをどうなっているんだろうと、理解しようとしてくれるでしょう。
 でもね、初対面の人が、理想の「まだ見ぬ親友」のように、暖かい心で、見つめてくれるもんですかね。
 私なんか、自分の気持ちでも、どろどろした部分が、うっとうしいんです。
 他人のどろどろ、ちょっと見るだけで、あまり近寄りたくはないですね。
 よっぽど、その人のことを大切にしたいような人でない限りね。

 未解決のどろどろを理解してあげようとするということは、その人のどろどろを、自分が背負ってあげるのと同じです。
 そんなことをあなた自身が他の方に対して、本当にやるのですか。
 それも、初対面で、自分の気持ちをばーーーとぶつけてくる相手に対して。
 あなたは、他の人が、そうやってくれると期待しているのかもしれないけれども。

 ここまで書いてきて、もしかしたら、「あなたは自分のことを、理解してもらいたいなどと思ってもいないのかも知れないと、考えを変えました。

 もしかしたら、このどろどろを、解決していないどろどろを、どろどろのまま、傷をなめ合いたいだけなのかも知れないと。
 それなら、同じようなにおいを持つ者同士、「類は友を呼ぶ」で、コメントのやりとりが成立するのかも知れない。
 でも、もしそれがあなたの本心なのであれば、あなたは、そのどろどろを解決したいと思っているわけではないわけですね。
 ただ、どろどろのまま、傷をなめあって、自分を悲劇のヒロインだと思っていたいだけ。
 自分のどろどろを対象化して、どこかでそれを消化した上で、みんなにそれを示していくのではなくて、どろどろのままでしかとらえられていない人同士が、お互いに感想を寄せ合っても、ほんと傷のなめあいにしかなりません。
 で、そのためにあなたは、初対面の方に、自分の解決できないどろどろをさらけ出すようなことを平気でやっている。

 昔、私小説というのが、はやりました。大正時代ですね。
 「現実暴露の悲哀に耐えて、人に語りたくない自分の見にくい部分をさらけ出した小説を書く」んですよね。
 それで、主人公が、「私  私」と自分の体験した暴露話を語る、そういった小説です。
 田山花袋の『蒲団』なんかですね。
 で、これ、みんながやっている日記と同じように思うかも知れないけれど、一緒じゃないですね。
 自分のどろどろを、一応こういうものだととらえた上で、みんなにさらけ出している。「人間の真実とはこんなにどろどろしていて、醜いものなんだ」と。
 これ、自分の内面を、どろどろなりにきちんとこういうものだと把握して、「人間なんて、こんなもんなんだ」と、みんなに向かってわめき散らしているんです。
 だから、皆さんがmixiなんかで平気で書いている日記なんかとは、本質的にまったく別物ですね。

 最近
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国語の先生が私の変な日本語の日記を
読まれたのかと思うと、
恥ずかしくて...。((゜ー゜;))焦
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というようなお便りを、お一人からだけではなくて、よくいただくんですよ。
 国語の教員だからといって、他人の文章を、生徒の作文を採点するように、悪いところを探しながら読もうなんて、そんな意地悪い読み方はしませんよ。
 確かに、他の方よりは、文のねじれや、誤字など、普通に読んでいても気になる所は多いでしょうけれどね。
 「面白い」か、「面白くない」か、ただそれだけ。
 「役に立つ」か、「役に立たない」か、ただそれだけ。
 国語の教員で、文章の書き方をいろいろ得意げに書きまくっている、Neko Fumioが読んだと知ったら、恥ずかしい。汗がでる。
 こんなことをいうのは、ちょっと私、意地悪かも知れませんが、インターネットの世界は、誰でも見えるんですよ。
 みんなが見る。
 Neko Fumioなんかより、もっと凄い人がいっぱいいて、個人情報を悪用しようなんて人もいっぱいいて、そういう中であなたはあなたの文章をさらしているんです。
 ばーーーーと。
 そういう事実のうち、国語の教員のNeko Fumioが読んでいるということを知って、初めて汗が出てくる、恥ずかしくなる。
 具体的に自分がやっていることを振り返ることが少しだけ、できるんですね。
 でも、それ以降、またそういう事例が目の前に起こってくることは少ないから、また忘れてしまう。
 ふつう、「そんなの見ても価値がない」と思ったら、コメントなどしませんから。ただ、見て閉じるだけ。
  「よくやるよなあ。」と、思いながら。

 私は何も、私に見られて恥ずかしくなるあなたを非難しようとしているんではないんです。
 もし、誰かに見られて恥ずかしいと自分が思うんだったら、「恥ずかしくない」文章を書こうという努力をしてますかということです。
 「見られて恥ずかしい」でも、自分は、今の自分ができる限り、精一杯の文章を書いた。
 この文章は、***のところを、***のような人に見てもらいたい。
 こういう気持ちで書いたのなら、「恥ずかしく」なっても、より、精進していい文章を書いていけばすむことだから、私のこの戯(ざ)れ言(ごと)なんかぜんぜん気にする必要はないわけです。
 でも、私は、色々見せていただいて、そこまで自分のやっていることを、理解しないまま、個人情報を垂れ流している方が、多いような気がして、しょうがない。
 今ワープロの操作をしていて、「個人情報」と入れようとして、「懲りん情報」なんて出てきました。
 単なる打ち間違えですが、これ、笑えない。
 私がここで言おうとしているのは、ホームページやブログ、日記として誰でも見ることのできる公の場に、あなたが文章を公開しているのは何のためですか、ということです。
 どういう人に向かって、どういうことを訴えたいがために、文章を書いているのか。
 これをやっぱり、もう一度考えてみる必要があるんじゃあないでしょうか。
 整理のつかないどろどろの傷の嘗(な)めあいが目的なら、個人情報を垂れ流せばいいのかも知れない。
 でもそうやって、リアルに人間関係を作れないこらえ性のない人に、本当に「真の心の友」が、寄りついてくるのかどうか。
 そして、個人情報をそうやって垂れ流すことで、どれだけ自分が危ういところに身を置いていくことになるのか。それを、やっぱり考えないといけない。
 何か誰かに訴えたいことがあるなら、自分の考えていることを、どこまでかは難しい問題があるだろうけれども、やはり、どこまでかは客観的にとらえることをしないといけない。
 どろどろを、どろどろのままじゃあ、誰もそれをきちんとは受け止めませんよ。
 だから、そんなことを考えていると、私なんかは、毎日毎日、何かを定期的に決めて、書き続けるなんていうのは、ほぼあきらめてますね。
 たとえば、新聞のコラムを書く人のように毎日毎日書く人はいるでしょうが、やっぱりそれをするのは、並大抵のことではないですよね。
 自分で、伝えたいことを明らかにして、それを自分なりの視点でとらえた上で、文章を書こうとすると、毎回毎回ほんと大変だと思うんです。
 まあ、私の場合、今のところは、皆さんのおかげもあって、ほぼ毎日毎日、好き勝手こうやって書いていますが、でも、これいつまで続くでしょうか。
 「文章」については、少なくとも20年以上考え続けてきた蓄えがあるので、まあこれぐらいなら、一気にはき出しても、まだもう少しぐらいだったら、絞り出すことはあるぞと。
 こういうことですね。
 たぶん、これ、それほど長くは続かないと私は思います。
 今月10日からこれを書き始めて、この前書いたものをいただいたコメントも含めて、印刷してみました。
 100ページ以上はありましたね。10日で100ページ。
 もっとも、私の文章は、改行がこんなに多くて、普通の文章に直したら、その4分の1もないだろうけれども、でもやっぱり、よく書いたなと、我ながら思います。

 話しが、だいぶそれてきたので、ちょっと前にいただいたコメントを紹介します。

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足跡から来ました
二十歳の者です。

自分はひたすら過去を日記に綴っています。

しかしネット上なのでプライバシーや、個人的な宗教、性への考え方など、踏んではいけない領域に来ている気がして怖くなることもあります。

今後途中で断念するのも嫌なので、大人の方からのマズイ場所の指摘などを頂けたら非常に助かります。

できたら軽く目を通して頂けないでしょうか?
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> 個人的なプライバシーや、個人的な宗教、
>性への考え方など、踏んではいけない領域
に踏み込んで行くこと自体は、目的があれば、必要なこともあると思うんです。
 その目的のためには、あえて書きたくないところまで踏み込んで、法律を犯さない範囲で、書いていった方がいいというような。
 だから、その個人情報をさらすことの危うさをきちんと自覚して、対象とする方に向けて、きちんと目的のために書くんだったら、それは、そういうやり方も当然取らなくっちゃあいけない。
 でも、そうしても、もし、そういう目的の自覚があれば、危うさもある程度、意識して回避できると思うんですね。
 ところが、そういう目的意識や、危うさへの自覚がないまま、何となく仲間を求めて、自分をさらけ出していくということであるなら、やっぱりそれはやめた方がいい。
 私はそう思うわけです。

 最後に、私が何を求めて、文章を公開しているかについて書きますね。
 私の場合は、「情報公開」です。
 自分は文章を書くのが好きだから、自分が書いた文章を、みんなに見てもらいたい。
 だから、少なくとも、みんなが読んで読んだ価値があると思ってもらえるものを公開していきたい。(http://www.syouron.com/hp/2006/03/post_2.php
 誰でも言うようなことを、誰でも言うように書いても、私が改めてそれを書く意味というのはありませんよね。
 だから、少なくとも、どこにでもある内容じゃあなくて、わたしだけのものがどこかに感じられるものを出していきたい。
 そのように考えると、インターネットの世界でも、自分が色々やっていることとの関連で、それについてはみんな言っているかも知れないけれど、その観点からは、あんまり見ていないよな、ということが、結構あるんですね。
 みんなは、自分が思いつくようなことは、全部どこかで誰かが、言っているだろうなんて思ってしまうわけですが、本当はそうじゃあない。
 みんなが、書いていないことなんて、どこにでもあるわけですね。(http://www.syouron.com/hp/2006/03/post_5.php
 そこに私の文章の存在意義を求めてホームページを作っていきます。
 そんなことをやっていると、ページの量産なんてとてもとても。
 ホームページで、お金儲けしようと思うなら、そんな甘いことだけを言っていると、やっぱりいけないわけですが。
 でも、オリジナリティーもなく、銭もうけを目指してただただページを量産したり、
メルマガをむやみやたらと出したりしても、やっぱり、それは、みんな受け入れてくれない、という現実もあるわけで、お金儲けだと割り切っても、やっぱりそれはそれで、
そう簡単じゃあないですね。
 私の場合は、やっぱり文章にこだわっていきたい人間なので、銭もうけの文章を書こうとしても、やっぱり、それに徹しきれないところもあったりして。
 だから、この「自分の文章の存在意義をどうやって作っていくのか」ということについては、ただ、自己満足で文章を書く人にとってだけではなく、ホームページやメルマガを書いて、それを商売に結びつけていこうとしている人たちにとっても、やっぱり大切なことなんです。

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コメント (7)

BLADE:

日記を読んで、Neko Fumioさんがネットをどのようにとらえていらっしゃるか、ということがよく分かりました。
自分が書く意見も、たくさんある意見の一つだととらえてください。

>もしかしたら、「あなたは自分のことを、理解してもらいたいなどと思ってもいないのかも知れないと、考えを変えました。
「理解」は求めていません。求めているのは「意見」です。自分の意見が承認されることで、理解を得られた、と感じる方もおられるかもしれません。ただ「理解」だけでは自分は物足らないんですね。「意見」があることで、自分の考えが醸成されるのではないか、という立場です。

>「類は友を呼ぶ」
このことばは、ネットのことをよく表していることばです。検索をかければ必要な情報が出てくる時代です。ネットを通じて、似たような人たちが集まるのです。コミュニケーションは身の回りの人たちとだけ、おこなうのではないです。ネットを通じて、距離と時間を超えていろんな人たちとコミュニケーションがとれ、いろんな情報にアクセスできます。今こうしている間にもネットには膨大な情報が蓄積され続けています。
身の回りの人たちとコミュニケーションがうまくとれない人もいることでしょう。極端な話、自分を理解してくれるひとがいないから、自ら命を絶ってしまう人がいます。たとえ、ネット上の相手の理解であっても、理解を示すことで命を救えれば、それはそれでいいんじゃないかと思います。
「類は友を呼ぶ」はプログラマーが作る、無料のソフトウェア=オープンソースの世界では非常に有効な手段なんです。「まつもとゆきひろ」という人がいます。この方は「Ruby」というプログラミング言語を開発しました。その開発過程は個人で行ったわけでなく、ネット上で「Ruby」を公開し、世界各国のプログラマーが手を加えて今の「Ruby」が完成しました。
「類は友を呼ぶ」で集まったコミュニケーションは必ずしもネガティブではない、という例を紹介しました。

>あなたが文章を公開しているのは何のためですか
上に書きましたように、自分の文章に対し、「意見」をいただくことで、自分の考えをステップアップさせたいからです。

Neko Fumio:

BLADEさん
コメントありがとうございます。

お言葉を受けて、
もう一度
別の言葉で、
説明してみました。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=692641468&owner_id=14874745

トシ:

はじめまして。お邪魔します。
足跡からきました。

殊にどうでもいい個人的な心情を書いた日に足跡がありました。
「ああ!これは、なんというタイミングに足跡が…」
Neko Fumioさん書かれている日記の全体に公開することへの意義を問う文章を拝見して、思うところがありました。

個人情報を公開することになるリスクや、文章を書く際の対象の明確化(読者の想定)や目的の部分については得心のいくものでした。

コメントを差し上げようと思いついたのは、碌でもないことを書いた日に足跡があったので、自己弁護したくなったのかもしれません。

私の考え方が甘いのかもしれませんが、碌でもないことでも書くことによって自分の中である種の昇華作用が起こるのではないかと考えています。

「そんな個人的なものに付き合わされる方の事も考えなさい」と言われてしまえば、それまでです。さっさとそのページは閉じて違うページに行くなり、コメントしないで放っておいて自らの日記を書くことに向かえばよいのではないかと思います。

1000万人という参加者がいるといわれるmixiです。色々な人がいますわね。それに、人は常に安定した心情でいられるとも思いません。
虚しい下心で異性と知り会えないかという期待を抱く人もいるでしょう。金儲けのためなら手段を選ばない人もいるでしょう。そこにどんな意義を見出すかは、人それぞれですが、「類は友を呼ぶ」って訳で卑しい志では卑しい人間関係(ヴァーチャルですが)を得るでしょう。
それでも人それぞれ、放っておかれては?

文章について考えてこられたお立場から、文章を書くのならそれなりの意識や目的をもって書きなさいといわれると、そのとおりですね。と答えるしかありません。客観化した視点で自らの文章を見直すことも必要でしょう。

ですが、現段階の混沌としたインターネット世界では誰もが明確な目的をもって文章を書いている訳ではないのではないでしょうか。漫然と参加している人や単純にこの混沌を楽しんでいる人もいるかもしれません。
いずれにせよ、つまらないことばかり書いていれば、淘汰されるなり書いている本人がつまらなくなって幽霊部員のようなmixi参加者となることでしょう。

ご意見はよくわかりますが、もう少し様子をご覧になっては如何でしょうか。肥大化したmixi参加者も減少するかもしれませんしね。

Neko Fumio:

後ろの方の
日記のコメントに、
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=694529148&owner_id=14874745

>素晴らしい方に出会える確率は、ネットがなかった時代に比べれば格段に大きくなってると思うんです。その分リスクが上がったのは事実ですが、上手く使えば自分にプラスの影響を与えてくれるのではないか、と考えます。

といただきました。


 こう言われてみれば、

リスクを押さえて、
「上手く使う」ために、
ちょっとでも役に立つ視点を
提供してみたい

というのが、

今回の問題提起の
テーマだったような気がします。


 いろんな人がいて、
いろんな考え方をして、
好きなように生きている。

というのが、
現実の社会です。

 誰が
どんな文章を書こうが、
他人に悪影響をもたらさないかぎり、

そうすること自体、
全然社会的には問題なんかありません。


そういうところのある
「日記」や「mixi」に対して、

あり方を正してやろう

なんて不遜なことを
私は考えているわけではありません。


 私の文章を読んで、
自分が書く文章を、
振り返ってくださる
きっかけに
なった方が少しでも
いらっしゃるなら、

これを
長々と書いた
価値はあった、
ととらえています。

笑ちゃん♪:

足跡から来ました。 正直な所あまりに長いので後半は読んでませんが、ちょっと申し上げたくてコメントさせて頂きます。

以前mixiの事を父に話すと、『他人に日記なんか読ませて何が楽しいんだ?』と聞かれました。
そう言われると、そうですよね(笑)
昔は鍵つきの日記帳に1人書き記し、人には見せないものでしたからね。

ドロドロした悩みを書くのは、私の場合はただ書きたいだけです。
誰も読まないかもしれないけど、書く事でなんとなく落ち着く。そんな気持ちがあります。

もしくは、数多くの方が読んでいるので、同じような経験をされた方が『私の場合は…』とコメントを下さるかも知れない。そんな気持ちもあるかも知れない。


主婦ですから、孤独と言えば孤独もありますよ。
学生時代のように深い友達はあまりいなくて、子供を通しての友人に家庭の愚痴をこぼすわけにも行きませんし、子供達や両親に相談するわけにもいかない。
見ず知らずの電話相談員に相談するようなものでもあるのかな?


誰に、何のために?
学校の生徒さんにブログについて作文でも書かせては?(笑)

Neko Fumio:

>ちょっと申し上げたくて
ですが、正直何を申し上げられたのか、よくわかりません。

 そのような心理で、日記をお書きになることの危うさについて、この文章では問題にしています。


 学校では、「書かせる目的」があって、その目的を達成させるための課題を選んで文章を書かせます。意味もなく面白半分に書かせるのは、生徒にも迷惑な話だし、時間の無駄です。 

笑ちゃん♪:

あらそれはすみません

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