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2008年1月24日

自分をどう見てもらいたいんですか

 前2回にわたって、
http://sakubun.info/2008/01/post-29.php
http://sakubun.info/2008/01/post-30.php
「日記を書こうとする気持ちが分からない」ということについて、書いてきました。
 それについて、もう一度考えてみます。

 結局書きたかったのは、 あなたが、インターネットで記事を書くとき、どういう相手に向かってどういう自分を見てもらうために記事を書いているんですか。それを、考えてみましょうよ、ということだった気がします。
 「孤独」って、それを感じ出すと大変なんです。
 自分がひとりぼっちのような感じで、誰も自分の心を分かってくれている人がいなくって、いつも自分がうわべだけで人とつきあっている様に思えて、とにかく寂しくなるんです。
 それで、矢も楯(たて)もたまらなくなって、とにかく誰かのところに行きたくなる。
 誰でもいいから、とにかく話しに行きたい。一人でいたくない。

 そうですね。私もこうなったことが、大学生の時には、何回かありました。
 それで、インターネットに友達を探しに行くのは、いいんです。
 でも、その時に、あなたはインターネットで、どのような自分を見てもらって、どのような人とおつきあいしたいんだろうか。
 そんなことを考えたことがありますか。
 リアルの現実の世界だったら、自分のありったけの全部をさらけ出して生きているわけではありません。
 この人が魅力的だなと思ったら、自分の中から、この人とこうやってつきあっていきたいという部分を出して、もっと深くつきあっていこうとしますよね。
 この人とだったら、こういう風につきあいたいと。
 インターネットの世界でも、同じことだと思うんです。
 どのような自分を見せて、どのような人と友達になりたいのか。この視点、重要じゃあないでしょうか。
 前の記事で、
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それを何らかの意味で、一つの対象として、自分がとらえた像を伝えようという努力をしない、 ただの印象や、移りゆく心情を時の流れのままに書き付けていって、そういう「日記」
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という表現をしました。


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何らかの意味で、一つの対象として、自分がとらえた像を伝えようという努力
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というのは、何も、小難しい評論ぽい文章を書けということではないんです。
 自分が、「子育てを楽しむ主婦」として友達を作りたいんだったら、そういうエピソードがほのぼのと感じられる日記を、つづっていけばいいんです。
 そういう風に、自分をどう見てもらいたいかということを、考えないで、
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ただの印象や、移りゆく心情を時の流れのまま、感情が赴くままに書き付けていった「日記」
=======================================================================
を読んでもらって、どのような人を友達にしたいんでしょうか。

 話は変わりますが、推薦入試なんかで、生徒がよく言うんです。
 試験や面接では、先生の好印象や成績しか、評価してくれない。もっと内面の良さを評価して欲しいと。
 でも、客観的なものに何も現れてこない「内面の良さ」っていったい何だろう。
 「親の手伝いをよくする」は既に、外に出てくる誰でも客観的に評価できる良さなんです。
 そんな外に出てくるよいものではなくて、外に現れないよいもの。
 これっていったい何だろう。
 こんな不平を言ってしまうのは、結局、自分がよいはずなのに、他人が評価してくれないものだから、自分の自己評価通りに評価してくれ、とそういう甘えたことを言っているだけなんですね。
 で、話しは戻って、自分ですら、自分のこういう面を見て欲しいというようには、把握できない自分の良さを認めてくれる友達を捜そうとするのは、推薦入試で、「もっと内面の良さを認めてくれ」といっているのと同じ心理じゃあないでしょうか。
 自分では、自分のこういう面を認めてほしい。見てほしい。そういうところを自分でも見つけることができていないのに、他人にはそれを探してもらって、自分を認めてもらいたいと思っている。
 そのような心理が働いているのではないかと私は感じてしまうんです。
 それって、自立していないと思いませんか。
 自分のこういう面を見てもらおう、自分はこういう人間として皆さんと接したい、友達を作っていきたいというのは、自立した人間が、よりよい関係を求めて、友人を作ろうとしている。
 けれども、そういう自分を客観視できていない人が、自分をさらけ出して友達を作ろうとしても、結局、そういう自立できていない人同士の自立しようとする気のないコミュニケーションとしてしか、機能しないのじゃあないか。
 こんなことを、最初の記事で言おうとしたんですね。

 こんなコメントをいただきました。
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初コメ失礼します。
本当は1の方に書きたかったのですが、こちらに書きます。

これは飽く迄自分の意見なのですが、日記を公開制にする理由というのは実際はとても簡単で、純粋に誰でも閲覧可能な状況を作り出す為です。
この"誰でも閲覧可能な状況"を作り出す事によって生まれるのは、マイミクの増加などです。確かにmixiにはプロフィールというものがありますが、それだけで人のナリを見るのは、少々乱暴なような気がします。プロフィールにはそりゃ、書きたくない事も沢山あるでしょうし。
"その日あった出来事を相手に伝える"という、たったこれだけの事でも、自分の意思や主観。(独創的であるにせよ)考え方を伝える事ができます。それを誰かに伝え、共感を得られる相手を探す事がこのmixiの目的なのではないでしょうか。

勿論、日記に書く事柄によって共感の得方も違うでしょう。ある日記では同じ意見だった人でも、別の日記では「ちょっとそれは違うでしょ」という意見になる事も充分有り得ます。
それ故にマイミクさんの数をどんどん増やすわけです。共感できる相手との一種の"会話"をする事にも充分意義があると思います。

日記は、その会話の話題のネタという考え方も出来ますね。
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 私も、言ってみればマイミクを増やすために、この記事を書いていることには違いありません。
 でも、「マイミク」を増やすためとただ言っているのは、「ともだちがほしいよーーー」と言っているだけなのと同じことなんです。
 でもそれだけだっら、結局、自分でも自分のよい面をとらえることができないのに、どういう友達になれるか自信がないのに、それを他人に探してくれと言っているのと
同じことのように私には思えます。
 友達がほしいんだったら、自分のどういう面を見てもらって、どのようなつきあいのできる友達が欲しいのか、それを考える必要があるのじゃあないでしょうか。
 こないだから「孤独」議論で、ちょくちょく引用をさせていただいている方からいただいた最後のメッセージは、
=======================================================================
たとえば私が誰かに対して
心の内をどこまで表にするかで
その相手の方が私に持つ印象は変わるのでしょう

どこまでを表にするかというよりも
どの部分を表にするかと言うほうが
より正確かもしれません
=======================================================================
というものでした。
 これにどう答えようかと思って、今まで返事を出せずにいたのですが、このメッセージ、私にこの記事を書かせるためにいただいたのかな、という気が今になってしています。
 孤独を感じている人が、自分の全てをありのままに受け入れてほしいなどと甘えたことを考えるのではなくて、お互いのそれぞれの立場で、お互いが暖かく関わっていくからこそ、その孤独が、温かい人間の関わりとなって返ってくるのではないでしょうか。
 私が言おうとしていることを、前回の記事のコメントで、BLADEさんが端的に、「ネットリテラシー」と一語で表現してくださいました。
 「リテラシー(知識・能力)」というよりも、「良識」といった方がよいかも知れませんが。
 一般に流通している言葉で言えば、まさにその通り、ネットリテラシー。
 ただ、このように1語でかたづけてしまうと、「個人情報の管理には気をつけよう」「そんなことは分かっているよ」とこうなっちゃいそうな気がするんですね。
 私は、分かったつもりでやっている行動を動かしている裏の心理について問題にしておきたいわけですね。

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コメント (15)

Anonymous:

わたしの場合は結構 読んでくれる人を意識して書いてます。

その結果 あたり障りない内容になる事が多いかもしれないですねぇ
(^_^;)

わたしがmixiに求めるのは共通の趣味や気の合う友達探し・・・っていう感じです。

たかちゃん:

 うん、なるほど・・・ここ数日、ネコさんの文章を読みながら自分の状況に置換して考えていました。深く考えれば考えるほど、コメント書きにくくなって・・・でも「何か書きたいな」と思って・・・。
 私の日記は、感じたことや考えていることをそのままストレートに書いています(書きなぐっている、という感じです)。それは、『共感してくれる人がいると嬉しいな』とか『うん、そうそう、その気持ちわかる』って思ってくれる人がいたらいいなという気持ちが働いているからです。
 相手が限定されていなくて、誰に対して書いているのかもハッキリしていません・・・でも、全く接点の無い人が私の文章を読んで何かを感じてくれたりコメントをくれたりするっていいなぁと思ったりしています。接点のある人は私を知っているわけですから「あ、さすが○○ちゃん」って
思いながら読み進めていくでしょうけど、接点の無い人が私の文章に触れたとき、どう思うのかなぁという興味もあります。例えはマッチしてないかもしれませんが、探検?かもしれません。  話、ずれちゃったかしら?

JBJ:

Neko Fumioさん
ここや「孤独議論」?で引用されているのですか私のメッセージは

メッセージを引用する前に
「引用します」と言っていただきたかったです

実際名前は伏せてくださっていますが
私が送ったメッセージは広く公開する日記の中に書いたものではなく
Neko Fumioさん個人へ向けて送ったものです

それを事前の通知も無く事後承諾として
「日記に引用させてもらいました」と言われたら
どういう気持ちになるかお気づきでしょうか?

“たとえば私が誰かに対して
心の内をどこまで表にするかで
その相手の方が私に持つ印象は変わるのでしょう

どこまでを表にするかというよりも
どの部分を表にするかと言うほうが
より正確かもしれません”

Neko Fumioさんへ見せた私の一部は
あくまでNeko Fumioさんだから見せた一部であったのかもしれないと
思いはしませんでしたか?

個人へ向けて送ったメッセージは
日記へ寄せるコメントとは違うということを
知っておいていただきたいと思います

いくつかの日記を読ませていただいて
思うところがあります

「私が日記を公開にしている理由」

「私にとってのマイミクシーとは」

「私の考える孤独とは」

いかにも長くなりすぎるのでここに書くことは控えますが
失礼を承知で言わせていただくならば

Neko Fumioさんのお考えは 
1つの方向から目が向けられている
少々偏ったもののように思えます

もっとじっくり読んでから意見を述べるのが筋ですが
ざっと読ませていただいた今
反論に近いものを感じております

思ったことを思ったときに整理も付かないうちに書いてしまうのは
非常に失礼なことなのですが

おそらく訪ねられるのはこれが最後だと思えるので
今伝えられるだけのことを伝えておきたいと思いました

真意が伝わるほど練られた文章ではありませんので
どこまで伝えることが出来るかは
大いに疑問ではあります

Neko Fumio:

JBJさん

不快に思わせてしまったことは
お詫びします。
***************************
いかが返事をしようかと
思っていたのですが、
このコメントのやりとりを、

記事で使わせていただきました。
****************************
というメールが、ちょっと不用意だったでしょうか。


私としては、
このやりとりの返事を、
やっと
誠意を持って
日記の記事として
書かせていただいたと
思っていたので、

関心を持って
読んでくださるものと
思っておりました。


引用と言っても、
「孤独」について、
なぜ孤独かと聞かれたという話を
自分の言葉で
書いたのと、

この上に書いてある、

接する相手によって、
それぞれみんな自分の
別の面を見せて、
人と関わっているという内容の
言葉を、
ある人の言葉として
引用させていただいたにすぎません。

引用した部分は、

日常生活で
誰もがやっている、

そういう普通の内容を、
かなり鋭く言い表した、
それだけの言葉だと
私は思っています。

それを私も確かにそうだなと
思ったから、

私が同感する考えとして、
この部分は引用させていただきました。


別にmixiでなくても、
日常生活で、誰かとやりとりがあった

そのやりとりを、
概略こんなやりとりがあって、
こういう言葉に納得した
というようなレベルでの

紹介話だととらえているので、

それほど、
特別引用のお断りをしてからでなければ
日記で紹介してはならないほどの、

私個人だけの胸にしまっておかなければならない
秘密の話だという認識は
しておりません。


この内容が、
JBJさんの思っているのと、
違う意味として使われている、

もしくは、

孤独について、
日記についての見解が、
JBJさんのものと
正反対の意見を述べるものであるのに、
それを正当化するために使われているというお怒りなら、

それは、私がこの内容を
こういう風に考えたというだけの話なので、

それについては、
単なる見解の相違というに
すぎません。

 私のここ3回の
「日記」についての文章は、

かなり反感を持つ方が多いだろうなとは
想像しています。

 その上で、
わたしは
自分の思ったことを
誠実に表現しようとしているだけのことですから、


それについては
反論してくださるなり、

つきあいをやめてしまうなり、

判断してくだされば
よいと思います。


 なお、JBJさんが
最初にお便りをくださったのは、
確かにプロフィールを書き換える
以前でしたが、

今は、
プロフィールに、
コメント・メッセージを
プライバシーに配慮した形で
お断り無く使わせていただく旨、
明記してあります。

もし、他の方で、
コメント・メッセージをくださる方は、

このレベルでの引用に
改めてのお断りはしませんので、

ご了承の上でお願いします。

Neko Fumio:

たかちゃんさん

こんなことを聞くと失礼かも知れません。

でも、ちょっと思いつきで
聞いてみたくなりました。

もし気ににさわったら、
無視してくださいね。


たかちゃんさんの日記には、

自分の立場を明確にして
何か言っている部分と、

日常の雑事を話題にしているだけの部分と
 (こう言っちゃあちょっと失礼かな)

大きく分けて2種類あると思うんだけれど、
雑事の方って、

見知らぬ人からのコメント、
つくことがあるんですか。


「看護師って大変なんですね」
以外のコメントがつくとしたら、

いったいどんなコメントなんでしょう。


この質問、

お答えがなかったら数日後には
消しますので、

あまり気にしないでくださいね。

ペス:

はじめまして。足跡からたどってきて、こんなにがっつり真剣にmixi日記について考えている方がいらっしゃる事に、正直少し驚いています。

公開で日記を書く…私も初めは分からないと思っていましたし、実際マイミクのみに公開していた時期もありました。
友達に授業中に書くメモ帳手紙の延長ですね。
でも、今は公開にしています。
駄文を心の赴くままに書く日もあります。
軽いノリを装い、分かる人にだけ分かるように気をつけて小言を言ったり愚痴ったりすることもあります。
でも、基本は友達に読まれることを前提にしています。

日記を公開にした理由は、純粋に自分が他の人のmixiをみて日記を見れなかったときにつまらないと感じたからです。
私は、できたら偶々私のところに来てくれた人や、コミュニティからたどってくれた直接には縁のなかった人とも機会が有るなら仲良くなりたい。
別に依存とかじゃないですよ?そもそもその類のつながりが必要でなく、ただすでに縁故のある人とのやりとりなら、メールでこと足りますし。結局は、そういう機会を期待してるが故に公開日記です。

こんな文で私の言いたかった事が伝わっているか不安ですが、字数の関係上この辺りで失礼します。

りゅう:

足跡から辿らせていただきました。
とても興味深い内容です。

自分が日記を書く理由は、大きく二つあります。
一つは、マイミクに親がいるので、海外で生活をしている自分の状況を書き、日々の報告と親を安心させるため。
もう一つは、自分はこんな人ですよ、というのを表すためです。それは、日記の書き方だったり、考え事の内容だったり、思いついたこと、など、上手い言葉が見つかりませんが、プロフィール以上の自己表現の場所です。

たかちゃん:

 >ねこさん
 返答に困ってしまいます。雑事には、知っている人からのコメントがほとんどです。私は外見が冷たそうで(何を考えているのかよくわからないと言われます)、口調も紋切り型なのできつそうな印象を与えてしまいます。でも、人間っていろんな面を持っているから、「こんな素直な気持ちを書いてみると、どんな反応が返ってくるかな?」と楽しみにしながら綴ることがあります。でも最近、全体公開をやめました。いまは「友人の友人まで」にしています。それはなぜかと聞かれても、返事できないかも?

みぽりん:

始めまして。足跡からたどってきました。

なんだか、自分の思っていることを代弁していただいているような内容で、共感できました。

私は心の病気を患っていて、今は本当に家に引きこもっているので、誰か私の孤独を解ってくれる人と話したいという気持ちがあります。

でも、リアルな友達には中々自分の病気の事や気持ちを言うことは出来ません。

なるほどなあと思いながら読ませて頂きました。

Neko Fumio:

 みなさん、
投稿ありがとうございます。

 ほっんんと、

さまざまな、
まじめな声が聞けて、

楽しかったです。


これらのコメントを受けて、

次を
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=694529148&owner_id=14874745
書いてみました。


いやにならないでくださいね。


 たかちゃんさん

本当に無礼なことを聞いて
ごめんなさい。

 私はマイミクにしていただいているから
気づかなかったけれども、

日記、非公開

だったんですね。


みぽりんさん

確かに、
友人に病気のことを
言いづらいということは、
ありますよね。

でも、
ネットの世界で、

「病気と向き合う自分」

を、


対象化しながら
語る、

そういう自分を
表現していくということは、
当然、
あっても面白いと思いますよ。

 みんな
関心を持って、
読んでくれる。


 でも、
マイミクに、
リアルの世界の
友人がいると、
これ、
ちょっと
やりにくいかもしれません。

Neko Fumio:

あなたの(・∀・)ゅぅさん

 いただいたコメントから感じたていたことを書いてみました。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=697116627&owner_id=14874745

たかちゃん:

 ねこさん、
 最近なんとなく、「肩の力を抜いて文章を書いてみよう」という
気持ちになりました。でもやっぱり文章硬いと思いますがね。でも
「そんなのかんけーねー」とか「仕方ないよ」とかと感じながら
毎日を過ごしたくないので・・・ありのままを書いていこうと思い
ます。だって、自分の日記だもん。

Neko Fumio:

 「硬すぎる文章を書くまい」とするのも、別の意味で、いらぬ肩の力の入り方だと思います。
 たかちゃんさんは、自分の伝えたいことを考えるという素地が、しっかりおありになるのですから、それをどのようにして伝えるかという点で、「だ・である」の硬い文章を書いてみたり、話し言葉風の文章を書いてみたりして、自由にいろいろ実験なさると面白いのではないでしょうか。
 

siesta/ no oder:

こんなにMIXIで濃いコミュ二ケーションを見たのは初めてです。
感動しました。
参加でき(傍観?)光栄です。

Neko Fumio:

 お褒めにあずかり恐縮です。
 何か書き込みをいただけると、それを元に色々次に書きたいことが浮かんできます。傍観と言わずに、どんどん書き込みをお願いします。
 もっとも、次に書く記事に反映させようとして、面白い書き込みほど、返事が遅くなる傾向がありますので、その辺りは、ご了承ください。

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