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2008年1月26日

二十歳の原点

 ここ4日ほど、私的な記録である日記について考えていて、昨日の朝には、実は、高野悦子の『二十歳の原点』について、何となく書きたいなあと思っていたんです。
 結局、別の記事を書いちゃいましたが。

 ここまでの「日記」のついての話は、一応前回までで言いたいことは一段落ついたので、今回は、この文章を書いて、特にこれが言いたいということはないのです。
 日記つながりで、『二十歳の原点』について考えてみたいなあと、それぐらいの軽い文章です。
 高野悦子ですが、ご存じの通り、70年安保闘争の時代、自分のこと、家族のこと、国のこと、学校のあり方、歴史学のこと、恋と性などについて、真剣に悩み、時代の流れの中で、自分のあり方を模索して生きていった大学生の私的な日記です。

 立命館大学3年生の時に列車自殺して、後日、お父さんが、娘の記念のために、個人的な記録として、彼女がつけていた日記を公開されました。それが、『二十歳の原点』です。
 現在は、新潮文庫で手に入ります。

 一番最後の日記が、『二十歳の原点』、その前が、『二十歳の原点序章』、もう一つ前が、『二十歳の原点ノート』

 私、大学生の時、西那須野にある、彼女の実家・お墓、通った宇都宮の女子高校に、はるばる鈍行で、往復1日ずつかけて行ったことがあります。

 彼女は、自分を取り巻く状況の中で、一生懸命、自分のこと、家族のこと、国のこと、学校のあり方、歴史学のこと、恋と性などに、誠実に対応していこうとするんですね。
で、「まだ勉強が足りない」と考えて、とにかく本を読む。勉強をする。で、その日一日あったことを、また思い浮かべながら、「まだ、自分には足りないものがある」と、「それをどうにか自分のものにしなくっちゃあいけない」と、日記に書き付けるんです。

 この日記、70年安保闘争の頃の、大学生の精神的な指標として、ずいぶん愛され、
読まれました。
 私はもうちょっと後の時代の人間ですが、やっぱり、これを読むと身につまされるものがあります。
 おそらく今でも、彼女のお墓、詣でる方が、多くいらっしゃるんじゃあないでしょうか。
 私が行った時にも、「詣でる方が多いんだ」と、そこで工事をなさっている方が、お墓の場所を教えてくださいましたから。
 彼女がつけたのは、自分の心を整理するための、完全に個人的な日記です。他人に見せるために、書いたんじゃあない。
 でも、本当に悩んで、真剣に自分の人生に取り組んでいる人の日記だから、皆さん身につまされて、愛し続けるんです。
 これをもしmixiなんかで公開したら、やっぱり精神の彷徨をストレートに表現している点で、ちょっと危ういかも知れない。
 それに、自分を他人に伝えようという努力がない、純粋に個人の記録として書かれた日記だから、毎日の記事として出されたときに、新しく来たものは、読みづらいかも知れない。
 でも、他人に伝えようという努力はなくても、自分をきちんと把握しようという努力はあるから、やっぱり読む人に訴える力はあるでしょう。
 ところで、こんなことを言うと、心から彼女を愛している方から、「そんな軽い心理と一緒にしないでくれ」と言われそうですが、私は、彼女は結局「寂しかった」んじゃあないかと、最後に10年ほど前に読んだときに思いました。
 あれこれ、本気で、いろんなことに悩んで、本当にまじめに努力するんだけれども、
その根底にあって、いつも叫び声を上げていたのは、「寂しいよー」という、ただそれだけだったのではないかと、そんな気がしたんです。
 もちろん、社会への関心・責任感という、今の多くの人たちに欠けている気持ちは、強くあるので、「さびしいよー」という、ただそれだけじゃあないんですけどね。
 ある方と「メッセージ」のやりとりをしていて、私のこの前から書いている、「孤独」という言葉を、「何を、分かったような口きいてんだよ!」と思っていらっしゃる方が多々いるだろうな、ということを感じました。
 しかし、これはまあ、私がその点において甘い認識の持ち主なので、私の限界です。
 それはそれで、そこまでしか受け取れないのなら、私としては、やっぱり、そこを出発点として、考えていくしか、しょうがありません。
 話を元に戻して、高野悦子は、生き方を共有できない寂しさを根底に感じながら、色々なものに真摯に取り組んでいこうとした。
 そういう人物であると、私は感じました。

 私が、この高野悦子を思い浮かべたとき、考えたかったのは、その当時、もしmixiのようなものがあったとして、、彼女はそのmixiに、はたして、今残っているような形で、彼女の心情を書き付けていっただろうか、ということです。
 彼女は、おそらく、そんなことをしなかったに違いない。
 自分が、他の世界とどうやって関わっていくかについて試行錯誤していたのだから、彼女が、中途半端な、自身、許すことのできない自分の心情を、公開することなど、考えられない。
 だから、彼女だったら、そうやって日々悩みながら、もし文章を何か書くなら、自分がなにか、悩んでいる中でも、何とか表現できる、そういうものを探してきて、それを文章にしただろうなあ。と、そんな気がします。
 自分の、未整理の、自身とらえどころがない気持ちと格闘しながら、他人に見せる顔は、自分の整理がついたところを表現していくというような生き方ですね。
 私がこれを言うのは、皆さんがそうした方がいいという気持ちからではなくて、私の生き方に、そういうやり方が近いという、ただそれだけの話です。

 他に、日記関連で思い浮かぶのは、『だめの子日記』です。
 こちらは、交通事故にあって亡くなった光吉 智加枝さんの日記で、今は絶版です。
 岡山県の高校生だったということで、私の地元ですね。

 この日記は、やはり日常の高校生活の中での、日々の私的な記録です。
 私などが読むと、やはり大学生の精神の記録が記されている『二十歳の原点』とは、較べるまでもない印象があります。
 ですが、もし高校生が読むなら、こちらの方が親近感を感じて大切にするかも知れません。

 以上日記ということから連想した、つれづれ随想でした。


 ところで、この日記、これまでのものと較べて、あなたはどちらが読みやすいですか。好きですか。
 「もっと、改行を少なくした方が読みやすいのに」という指摘がコメントできたので、
実験してみました。(後に改行を少なくした、普通の書き方に改めたので、ここで書いている文体は残っていません。)
 私は、これまでやってきた、スタイルの方が、読みやすいかなあと思って、そうしてきたのですが。

 ここまで文章が詰まって表示されてしまうと、もうそれだけで、読む気が失せるような気が私はするんです。
 私自身がそうですし、特に、文章を読み慣れない人たちには。
 そしてメールのような、あまり本気で読もうという心構えをせずに、軽く読み始める文章では。

 私の日記を、これまでいくらか読んでくださった方、よかったらこの表記法について、感想をいただけましたら、それを元に、私の文体を考えていきたいと思います。

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コメント (9)

まる♀:

はじまして。
足跡から何度となくお邪魔しております。


文章の表記ですが、PCからのアクセスかモバイルからか、によって、受ける印象は随分違うと思われます。

現在、ほとんどモバイルからの私が読ませて頂くには、今日の日記の方が読みやすいです。

あ、ついでにと言うと失礼ですが、一つ質問です。
横書き表記の際、段落一文字落としって必要なんでしょうか?

初対面に変な質問でスミマセン

rate:

はじめまして。以下は、不躾にて、悪しからず。

貴方の文章は、cleverかもしれないが、not wise、ましてnever gentleかな?飽くまでも私的な想像ですが、担任の先生だったら、多分、打ち解けないでしょう。

表現がくどい?その一方で、何処か今時の中高生のような表現をしているようで、読み言葉として心に響くものが、ない?

不遜ついでに、どのような作家、文筆を多読さているのでしょうか。また、推挙されるのでしょうか。

こうのすけ:

はじめまして

今回くらいの長い文章であれば
もっと改行が少ない方がよく
かなり短いものであれば
改行の多いものも読めるように思います

もちろん文章の内容にもよるのでしょうし
PCや携帯の表示も関係するでしょうが
僕の直感的な感想です

Neko Fumio:

まる♀さん、こうのすけさん、
ご意見ありがとうございます。

いただいた意見を参考にして、次を書いてみました。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=696109281&owner_id=14874745&org_id=695174686

konomaさん
 なかなか鋭いですね。おっしゃる通りかも知れない。
 国語の教員だといっても、作家の書く文章が好きで好きでたまらないという人間ばかりではないのですよ。、まあ、私は変わり種かも知れないけれど。


 私は、あなたのプロフィールの所にある、写真の方に心惹かれる。

 あー、スキーを担いで、立山でも、蓮華温泉でも、また行きたいもんだ。

りえ@目指せギネス:

はじめまして。
足跡からお邪魔しております。
もうすぐ37歳なのに通信制高校に通っております りえたん 
と申しますm(__)m

二十歳の原点というタイトルの懐かしさからこちらに
書き込みさせて頂きました。

当方、小説は昔に挫折しましたが、作詞作曲は趣味で細々と
いたしております。

・・・最近の若い子は『高野悦子』さんをご存知ではない、
と思いますよ^^;;;
70年安保も、連合赤軍も、日本が敗戦国だということさえ、
知らないと思います。

過日、英語の先生に(英会話同好会に所属しているので^^;)
12月8日は何があった日か、と訊かれたので、
ジョンレノンが暗殺された日と答えたら、
もう一つあるんです、それは今から60年以上前のことです、と
仰るので、真珠湾攻撃と答えたら、
『昨日、授業で訊ねたら誰も知らなかった』とがっかりして
おられました。

それだけ、時間が過ぎ去っているんですよね・・・
少し、寂しいような。。。
#同級生が20歳の時に産んだ子なんだもんなぁf^^;

高野悦子女史がネットに日記をつけたかどうかは解りませんが、
『南条あや』嬢はご存知ではないでしょうか?
インターネット黎明期にネットアイドルの魁的存在となり、
ブログもまだない時代にホームページに日記を綴った女子高生です。
惜しくも、高校卒業後にお亡くなりになられましたが、
ネットの日記『卒業式まで死にません』が発刊されています。
(ご一読願えれば幸いです)

あ、長々とスイマセンm(__)m
時々お邪魔させていただきますm(__)m

Neko Fumio:

こういうコメントを待っていました。

私もご存じの方は少なくなっていると思います。
だからこそ、知ってもらいたくて、これを今更書いてみたというところもあります。

南条あや、読んだことがないので、読んでみます。

たんぽぽ さくら:

昨夜、自分の日記の3分の2を削除しました。
たくさんあると、初めて覗かれた方が、めまいがするかなあと思って。
私の日記は、目標を持って書いているものでもないので。
コミュニティーに関連しそうな内容は、貼り付け移動しましたが。
記憶力がいいわりに、過去を振り返らないほうです。
でも、思い出が記憶から消えないというのは何らかの執着があるからだそうですが。
いやな思い出で、何度でも思い出すのに、セルフ・カウンセリングで紙に書き、洞察して、自分の過去を味わいつくすと、
すうっとその記憶が消えていくというのですか、細かいことが思い出せなくなります。
日記を書くといく行為は、自分の気持ちを整理して、外に出すという意味があるのかもしれません。

母が病気になりなくなったその半年間をのぞけば、私の父は若いころからずっと日記をつけています。
最近の日記を見ると、「8時半起床。歯を磨いているとAさんから電話。
種をいつまくかの相談。33分も話して、9時15分から食事。20分後に〜」
というように、ものすごく時刻時間にこだわっています。
行動するたびに、朝用意しやメモ紙に時刻を書いていくのです。
本人は自分のことを病気かもしれないと言っていました。
1分すらも無駄にしない。なにか意味のあるものにしようと思うのでしょうか。
父の日記は睡眠のことすら、なぜこのとき睡眠をしたのか理由が書いてあり。
兄に言わせると、
「そんなものを書いているより小説でも読めばいいのに」ということになるのですが、
昔の日記とはちがう、ひたすら時刻を追いかける父の日記を読むと、
87歳になった父の命への執着を感じる私です。

「20歳の原点」懐かしいです。何度も読んだ記憶があるし、
田舎の本箱に入っているはず…なのに、内容が思い出せません。
どうしてだろう。今度、読み直してみます。

先生が、「孤独」ということに触れておられますが。
今から23年前。27歳のときですが、私は孤独の中にいました。
失意の中で、せめて環境改善と白くてきれいなアパートに引越しをしました。
目標もなくただ生きるために生きている自分がなんともみじめで。
このまま一人で生きていくのだろうか。そういう不安を感じた時期でしたね。
なにも片付ける気にならず、ダンボールは一ヶ月そのまま。
生きるために会社には行っていましたから、
みんなと馬鹿騒ぎをしながら晩御飯を済ませることはできる。
でも、家に帰ると、何もする気が起きず、ただその場に座っているそんな日が続きました。
風呂に入るか顔を洗う時に洗面台の水道をひねるだけですから、台所の流しはからから。
ひさしぶりで開けた押入れで、勝手にゴキブリが死んでいたということもありました。
夏のことです。

外の明るさで、電気もつけずに壁を見ていたら、かさかさってごきぶりが壁をはっていて。
私はもちろんゴキブリは苦手です。それなのに、
「ああ、あなた生きてるのね。こんなところで生きてるなんて強いネエ」って、
声を出してゴキブリに話しかけていました。
それからは、毎日ごきぶりに話しかけるのが日課になり…
「あなたも一人なのね。私も…。騒ぐ相手はいるけれど、なんか寂しいネエ」みたいな…
ゴキブリ相手にアホな会話ですよ。今、思えば。
ちゃんと声を出して話しかけているんですから。
はじめの日は無意識に声を出しましたが、次の日からは、意識して声をだしていましたね。
それが次第に楽しくなって。不思議ですね。
一週間したら、私は元気になっていたんです。

もうしわけないけれど、お世話になったゴキブリさんには退散していただき、
それから掃除をして、食事をつくるようになり…
私は、孤独から抜け出していました。

ブラックホールに吸い込まれていくようなあの虚脱感。
自由がほしいと家族に対してわがままな気持ちがわいたときは、
私はあの虚脱感を思い出すようにしています。そして、
「あなたは一人で生きることより人と生きることを選んだんだよね。」と、自分に声をかけています。

Neko Fumio:

 「自分の日記の3分の2を削」とは、思い切ったことをなさったものですね。

私も、公開していない純粋の日記については、数年前に全部焼いてしまいました。まだ、ワープロのデータとしてはいくらか残っているものもありますが。
私がいなくなってから、誰かに見られたくないので。

 でもこれ、焼く前に読み返していると、そこら辺の下手な小説よりはよっぽど面白かった。

 公開したものについては、内容に不満を感じるようにならない限り、私は書いたものを異様に大事にする人なので、削除するということは基本的にありません。

 「たくさんあると、初めて覗かれた方が、めまいがするかなあ」というのは、mixiという環境の中だけで考えると、そういうこともあるかも知れません。
何せmixiは、日記には都合のいい環境でも、書いたものを大切にしてそれを整理していくには、とっても使いにくいので。


 このことは、以前BLADEさんのコメントへの返事でも少し触れました。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=692641468&owner_id=14874745

 ブログを使うか、ホームページを使うか、やり方次第ですが、それらを使うことによって、せっかく書いたものを大切にして、整理しながら、読者にも過去ログを整理して見てもらいやすくなります。
 もしよろしかったら、そんなことも考えてみてくださいね。


 ゴキブリの話し、いいですねえ。こういう話しを聞くとほのぼのとします。
 いい話を書いていただいてほんとうれしいです。

Neko Fumio:

 南条あやについて、少しだけ日記の材料として使わせていただきました。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=737025132&owner_id=14874745

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