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2008年11月12日

作文指導で何から手を付けていくか

 前回の記事で、たんぽぽさくらさんのコメントを読んで、今現に添削をなさっている方への配慮が足りなすぎたのが、よく分かりました。
 私自身、生徒の文章を、小論文模試のような形で添削していただくことがあって、添削をなさっている方が、どれだけ丁寧に指導してくださっているかをよく知っています。
 準備不足で、ちょっとしか書いていないような答案や、中身がほとんど無いような答案などでも、どうにかしてやろうと懇切丁寧に添削してくださっています。私などっだったら、丁寧な書き込みなどしないで、数カ所コメントを殴り書きで加えるだけですから、この丁寧さには、本当に頭が下がります。
 ただ、そのコメントが、準備不足の生徒ほど、むなしく感じられてしまうので、その辺りの気持ちを、配慮なしに、ストレートに表現してしまったのが、
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提出された文章に、何らかのもっともらしい「指導」をいっぱい加えなければならないので
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というような言葉でした。
 しかしこれは、添削なさる側の姿勢の問題というよりも、一回の添削で全ての指導を完結させなければならない、通信添削の制約から来る問題です。
 ですから、生徒の文章に添削を加える際に、教師の添削であっても、私のように、添削の元になる文章を、「さらに考えて完成された文章を考えさせるための素材」と考え、それを完成させるために、答えを見つけさせる「ヒント」を与えるのだというような考え方をしないで、元の文章を一応の完成品と見て、次に文章を書くなら、こういう点に気をつけたらもっと良くなりますよという「解答」を与えようというような姿勢で添削に取り組むとすれば、それは、ここで通信添削の問題点として取り上げた問題点をそのままはらんでしまうことになります。

もう一度、指導資料から問題点を検討してみよう

 前回の文章で、6月に行われた学研の小論文対策の指導資料を見て、私が考えたことをつづってみました。
 ところが、この資料のどこから、そのような感想が出てくるかということについては、今一歩説明できていなかったようなので、この資料をもう一度、眺めてみることにします。

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小論文指導のポイントは《対話》

・生徒との「対話」を前提として答案を読む
・答案の細かい部分にこだわるのでなく、生徒の「言いたいこと」をつかまえ、簡単にコメントする
・いいところを見つけ、積極的に評価する
・不完全・不明確な部分があっても、単純に否定しない
・問題点を「問い」として投げ返し、やりとりをする過程が先生の指導の本質
・生徒のなかで漠然としている思いに形を与えていく
・細かな「赤入れ」よりも、5分間の対話を!
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添削の違い→「対話」
★専門の添削者
・生徒の答案で不完全な部分、明らかにおかしいと思われる部分を単に指摘するだけでなく、具体的にどう直すべきか示さなければならない。

★先生の添削
・不完全な箇所や不明な箇所については、「問い」として投げかけ、生徒と「対話」する。
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 二ページ目に書いてある、
======================================================================= ★専門の添削者
・生徒の答案で不完全な部分、明らかにおかしいと思われる部分を単に指摘するだけでなく、具体的にどう直すべきか示さなければならない。
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の部分が、ここで考えるヒントになりそうです。

通信添削は一回限りで成果を見せなければならない

 それでは、教師の場合、対話をしていれば「具体的にどう直すべきか示さ」なくてもよいかといえば、もちろんそのようなことがあるはずはありません。
 上でも既に取り上げたように、」問題点は、おそらく教師が、何度もの対話を通して、最終的に完成形を目指せばよいのに対して、通信添削の場合は、一枚の答案・添削に、何もかにも詰め込んで、十分な指導をしているように見てもらわなければならないということでしょう。
 だから、見かけ上答えに感じられるものを与える指導が優先して、答えを「これ」とはっきりとは示さずに、「生徒にさらに考えさせる」ということができないのです。

教師の指導は、順を追って

 生徒が書いてきたものを見ていると、あれもこれも、表記も内容も、まさに添削の対象として取り上げたい箇所は、山ほどあるわけですね。
 ところが、それら全部を、「あれ間違い。これも直せ。こんなことをもっと付け加えて」とやってみても、それほど効果は期待できません。
 それは、なぜか。

 それは、生徒が書いてくる文章の問題点が、あらゆるレベルでの思考不足から、起こってきているからです。
 文章のねじれにしても、論旨の展開がおかしいのにしても、内容が浅薄なのにしても、本を正せば、生徒の思考がきちんと深まっていないことが原因なので、そこから出てきた個々の現象に対して、そのすべてを指摘して、訂正してやっても、それが出てくる大本の「自分の思考の至らない部分」に目を向けてやらない限り、対症療法を積み重ねることになるだけです。
 ですから、教師が生徒の文章を見てやる場合には、本質がどこなのかを見極めて、それに重点を置いて、まず指導に取りかかることが必要です。
 一度の指導ですべてを完了する必要はないわけですから、生徒との対話を通して、「生徒のなかで漠然としている思いに形を与えていく」手助けをしてやるのです。
 その中で、細々としたところも自然と修正が加えられて、最終的に、完成形へと導きます。

いいところを見つけ、積極的に評価する?

 何を「いいところ」と考えるかが、この場合とても重要です。細々した文章の小細工などを評価しても、本末転倒になってしまいます。
 私にとって「いいところ」とは、「自分の本音・本気で感じている部分が、しっかり出ている部分」のことです。それがある文章は、多くの文章が建前や浅い感想レベルでとどまっている中、それだけで、他の文章にはない、よい文章に育っていく要素があります。
 このような部分は、たとえ、それを現在よく分からない形で書いてあっても、きちんと評価してやって、文のねじれや些細な理屈の不整合を正そうとしてつぶしてしまわないことが大切です。

不完全・不明確な部分があっても、単純に否定しない

 このことについても、「否定しない」ということではなくて、上に書いたとおり、「より大切なものを、それによって、マイナスの評価を与えて、台無しにしてしまわない」ということです。
 より大切な部分を考えさせていく中で、それらの問題要素は、自然とかなりの部分が消え失せてしまうはずです。
 「深く考える」というのは、「物事に筋道を付けて整理していく」ということですから、本筋を大切にさせていれば、それらについても、当然問題は改善されます。

 「単純に否定しない」というと、「否定しないこと」それ自体が大切なことであるかのように誤解してしまいます。そうではなくて、「単純に否定してしまう」ことによって、大切なものが損なわれてしまうことが多いこと注意しておかなければなりません。
 だからこそ、そういう部分はそういう部分として、一応分かった上で、それは置いておいて、より大切なところを先に考えさせる様にし向けていくのです。

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コメント (6)

たんぽぽ さくら:

ご配慮いただいて恐縮です。
通信でも、何回か繰り返し書きなおすというやり方もあるのですが、
大体は一回ですね。
何回も見直す通信は、受講生の上達具合から指導力をチェックされ、
子どもの作文技術があがるほどに、添削料も上がるようです。
企業によりますが。

通信添削はだいたいにおいて、何かの受験合格を目指しての指導でしょうから、
減点されないための指導もかなりの部分含まれていると思います。
高校生の場合はとくにそうだと思います。
ふくらますよりも、減点されないことを指導する。
赤ペンが多すぎると、子供が見直しをしなくなるし、
少なすぎると、子どもが損をしたように思う。
バランスもとらねばなりません。

学校によっては、「小学3年生でもわかるように添削を」と頼まれることがあります。
すると、文体説明の用語や、句読点といったことばすら使えなくなります。
目指す大学によっても、添削内容は変化します。

。。。。。。。。

「単純に否定してしまう」ことによって、
大切なものが損なわれてしまうことが多いこと注意しておかなければなりません。
だからこそ、そういう部分はそういう部分として、一応分かった上で、
それは置いておいて、より大切なところを先に考えさせる様にし向けていくのです。

これができないことがよくあります。
誤字の多い子などに「誤字がないか確認しよう」とは書けない。
全部訂正しなくてはいけない。するとそれだけで真っ赤になる。
本当の、作文指導は
考える力を育て、わかりやすく表現(会話)する力を育て、そして何より、
自分の考えを深く見つめるすばらしさを学ぶことだと私は思っているので、
それがなかなかできない私としては、
国語の先生方の作文指導におおきな期待をしています。


かもめ:

お久しぶりです。かもめです。

「小論文指導のポイントは《対話》」

このことよくわかります。

僕は高校生のとき、何で小論文を書くのが辛かったのかというと、「経験」が足りなかったからです。

朝起き学校言って、友達と話して、昼飯食って、寝て、部活して、家に帰って寝るという、こんな社会のことをまったく知らず、つらい経験もしたことがないような高校生に小論文を書かせるなんて、虐待のように考えていました。

だから、添削する先生は、文章の間違いを指摘するだけじゃなくて、
小論文の内容に関係することで、先生自身の人生で起こったこと、その経験でどのように感じたかを生徒に話してあげれば、生徒がより深い内容の文章を書く手助けになるんじゃないかと思います。

Neko Fumio:

たんぽぽさくらさん
 別に配慮をしたわけではありませんよ。考えがそこまで及んでいなかったということです。

 ほんと、通信添削の指導をなさる方の努力には頭が下がる思いです。あの丁寧さは私には絶対にできません。
 添削業界のことはほとんど知らないので、こうやって教えてくださるのは、とても参考になります。

 そういえば、20年近く前、ベネッセ(進研模試)の添削マニュアルを一度見せていただいたことがありました。
 指導内容が、とても細かくシステマティックに書いてあって、添削の書き込みをするには、人によって書き込む内容にぶれが少ないように、よく工夫されているなと思いました。
 しかしそれだからこそ、生徒の文章から出てきた内容から逆に添削で指導する内容を柔軟に決めていくという姿勢にはなりにくいかも知れないなという気はしました。


かもめさん
 一時期いらっしゃらなくなったのを、とても残念に思っていました。元気にしていらっしゃって何よりです。

 1月に書くといいながら残っている宿題もありますが、機会がありましたら、またこの内容についても、記事として使わさせていただこうかなと思っています。

たんぽぽ さくら:

生徒の文章から出てきた内容から逆に添削で指導する内容を
柔軟に決めていくという姿勢にはなりにくいかも知れないなという気はしました。

そう思います。
この日記で紹介のあった企業さんの高校生の論文を添削したことがありましたが、
私にはむかない仕事でした。
書きこまなくていけない項目と、私が一番大事だと思う点に違いがあるからです。

大学生の就職作文の場合は、本人らしさを描くものなので、
そういう意味では添削のやりがいがあります。
添削者のタイプにもよるでしょうが私の場合は、
若者から学ぶこともあり、また幼さの中にも、
すこしでも可能性を広げる糸口はあるはずだと考え、
ちょっとだけつっついておきます。

そのこと自体面白いし、また、そうすることで、
自分自身の対話力をアップさせてもらっていると考えています。
教えるだけではなく学ばせてもらうこともあると思うと、
どんな稚拙な文章のなかにも、光を感じることができます。

Neko Fumio:

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若者から学ぶこともあり、また幼さの中にも、
すこしでも可能性を広げる糸口はあるはずだと考え、
ちょっとだけつっついておきます。
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 このような姿勢で、添削してくださる添削者に会った場合、その生徒も幸せでしょう。

 学校の教師は、生徒とやりとりをしながら指導していけることに、やはりかなり魅力があるのだなと、改めて思いました。

かもめ:

先生のコメントを読んで

小論文と話は少しずれますが

今、子供から自然に芽生えてくるものに対して、過大な期待をしすぎている風潮があるように感じます。

だから、「総合的学習」なんていうくだらないものをやるわけで

僕なんかは、「詰め込み」こそが真の教育であると考えています。
なぜなら、「知識」がなければ「創造」ができないからです。


小論文の学習において、新聞の社説や、教科書に載っている文章を、そのまま暗記することも大切なんじゃないかと考えます。

前にも書きましたが、先生の体験や、それに対する考え方を聞いたり、先生でなくても他の大人の話を聞くことも重要だと思います。

文章や、考え方を暗記すること(詰め込み)(知識)なしに、小論文を書くこと(創造)は難しいんじゃないかと思います。

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